ある日、カルロスがこんな話をした。「友人から訊いた話だが、アントワープ近郊の平凡な街に、何か判らぬが少年と犬の銅像が建っており、そこに日本人が訪れては写真を撮って行くというのだ。
なんとも Strange(奇妙)だ。もし、その日本人に人気がある銅像について、何か知っていることがあったら、教えてくれないか。」
 私は答えた。「少年の名は〈ネロ〉、犬の名はたしか〈パトラッシュ〉だったと思う。彼らは日本で良く読まれ、テレビアニメにもなった物語の主人公だ。」「どんな物語?」、「私の拙い英語力では、物語の概略を説明することさえ難しいと思うが、我慢して聞いてくれますか?」というと、彼が聞きたい、というので、私が記憶している物語の概略を大体以下のように話した」

 《アントワープ近郊の村に、貧しい一人の少年ネロが年老いた祖父、愛犬と一緒に暮らしていた。少年は年老いた祖父に代わって、愛犬パトラッシュと一緒に、村で作られたミルクをアントワープに運ぶ仕事をして家計を助けていた。ネロは絵が好きで、アントワープを訪れる度に、ノートルダム大聖堂を訪れ、絵画を眺めて過ごした。しかし、少年が一番見たいと思っている2つの絵(ルーベンス作:「キリストの昇天」「十字架上のキリスト」)には覆いがかけられており、銀貨を払わないと見ることが出来なかった。彼は貧乏だったので銀貨は払えなかったが、いつか、お金を貯めて、二つの絵をじっくり観たい、という強い望みをもっていた。
 彼はもちろん絵を描くことも好きで、将来は画家になるという夢を抱いていた。そのような彼を、風車のある家の少女がいつも励ましてくれた。しかし、その少女の父親は、自分の娘が貧しいネロとつきあうことを嫌っていた。
 やがて年老いた祖父は病気になり、一家はより貧乏になった。少年は自分が描いた絵を、絵画コンクールに応募する決意をする。発表は12月24日だが、「もし一等賞を取れば、多額の賞金がもらえ、病気の祖父のための薬も買うことが出来るし、画家になるための道が開けるかもすれない」と考えたのである。
 しかし、12月になると、ネロには次々と不幸が襲ってきた。病気で寝たきりになっていた祖父が亡くなりなり、また風車のある家が火事で焼け、少女に会うため風車の家を訪れたネロに放火の疑いがかけられた。すると、他の村人達もネロに対して急に冷たくなり、ミルクを運ぶ仕事も取り上げられた。また、家賃が払えなくなったネロは、家からも追い出された。ネロは12月24日の絵画コンクールの結果発表に、最後の望みをつないでいた。しかし結果は落選。すべての望みが絶たれたネロは、すっかり老いて弱った愛犬パトラッシュをともない、雪の中をあてもなく歩き、アントワープの大聖堂の前に立っていた。大聖堂に入ると、意外なことに彼が見たいと思っていた2枚の絵の覆いは外されており、折しも雪が止み月光が絵を照らしていた。ネロはついに念願が叶い絵を観ることができ、幸福感に浸った。
 翌日、クリスマスの朝、人々が大聖堂を訪れると、ネロとパトラッシュは抱き合ったまま凍えて冷たくなっていた。その様子をみた、風車の家の少女の父や他の村人達は、彼らが犯したネロに対するあまりにむごい仕打ちを悔い、村の一角に墓をつくり、少年と犬を懇ろに弔った。
 (※なお、24日には、ネロは風車の家の父が落とした大金が入った財布をみつけ。それを届け、風車の家の家族に大喜びされる挿話があるのだが、その挿話について、私は忘れていたので説明から省いた)》
 
 私の語学力では、この物語をスラスラと語ることは難しく、また時々単語が分からなくなり辞書を引いたりしたので、話は途切れ途切れになったが、それでもカルロスは、我慢して最後まで聞いてくれた。 私が話し終わると、彼は「悲しい物語だな」とポツリと呟いた。
 私が拙い語学力で無理をしてまで、この物語を語りたかったのは、ゴッホについての議論から始まった。「純粋すぎる人間、正直過ぎる人間はこの世では成功しない」のモデルに少年ネロこそ正にピッタリと思えたからである。また、愛犬パトラッシュは、東京の庶民に慈しまれ銅像になった忠犬ハチ公のイメージとも重なる。
 「フランダースの犬」は、イギリスの女流作家、ウィーダ(本名:マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー:1839-1908)作による児童文学作品である。しかし。今日、英国において、この作品の存在は殆ど忘れ去られているようだ。また、作品の舞台となったベルギーにおいては、物語は人々の記憶からすっかり消えてしまっていたようだ。しかし、日本では最初の翻訳本が明治時代の末に出版されて以来、数多くの版が出版され、子供達を中心に多くの人々に読み継がれ、1975年にはテレビアニメとして放映されている。
 ベルギー観光局には、日本で出版された、この物語の数多くの版が寄贈されて来た上、この物語や、その舞台となった村について、日本人から多くの問い合わせがあったらしい。
 その熱意にベルギー観光局も心を動かされ、観光局が中心になり、物語の登場する村に近いと思われる、ホーボーケンにネロとパトラッシュの像を建てたというのが真相らしい。(費用の一部は日本の企業も負担しているようだが)
 なぜ、英国やベルギーで忘れ去られたこの物語が、日本で多くの人に読み継がれて来たのであろうか?
やはり、「判官贔屓」という心情を、ずっと繋いできた日本人の心に強く訴えるものがあったからではなかろうか。
 三好十郎については、日本の一般市民の範疇に入れることには少々無理があろうが、「フランダースの犬」を愛読した子供達の多くは成長して一般市民となり、その市民達が自分の子どもの世代にその物語を薦め、時代を経てもずっと読み継がれ広がって行ったのであろう。
 私が特にこの話をしたかったのは、今はそうでもないが、当時は母国が急激な経済成長を遂げたことも影響してか、日本人=エコノミック・アニマルという歪んだイメージが世界的に広がっていたからである。この話を通して、まったく異なった日本人のイメージが生まれ、それが、日本の文化に対する理解の深まりにも繋がって行くのではないかという思いもあった。
      (2018/03/07)

 なお、三好十郎の戯曲「炎の人」も、「フランダースの犬」も、WEBの青空文庫で読むことが出来るので紹介しておきたい 。
「炎の人」について、私はドラマの終盤、アルルを舞台に、ゴッホとゴーギャンが激しくやり合うシーンが、特に好きである


  三好十郎『炎の人』(文字列をクリック)

  マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー作、菊池寛訳『フランダースの犬』(文字列をクリック)
  フランダースの犬の物語と日本人
~日本人の判官贔屓について~〈3〉


 

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