私に終活が出来ない本当の理由

 

 

 サイト『夢音見太郎の庵』は、私自身の終の棲家として一生掛けて拡張して行くために開設した庵である。本来は自分の終活のために作り始めた棲家であった。
しかし、自分には納得して一生を終えることは難しそうだ。私は、自分が生きているうちにやっておかなくはならないと意識しているものがあると、それを実行しないでどんどん先送りしてしまう習癖がある。その一方、何か疑問とかにぶつかると、どうしてもそれをクリアしたいという欲望にかられる。
 そういう言い方をすると格好良いが、たとえば疑問だけでなく、コンピュータゲームなどをはじめ、敵が強くてなかなかクリア出来ないと、膨大な時間を費やし、レベルアップして、敵に勝利するまで止められない。もし、薬物などに興味をいだけば、その薬物が自分の心身に何をもたらすか徹底的に確認するまで止められなくなるそうだ。
そのような子供の頃のからの習癖について、以下の文に書いた。

  「なぜ!なぜ!坊や vs あすやろ老人」(クリック)

 文章をちょっと読むと、他愛なく微笑ましい文のように感ずつかもしれないが、実は〈なぜ!なぜ!坊や〉も、〈あすやろ老人〉 私にも子供の頃から取り憑いていた病気のようなもので、子供の頃は〈なぜ!なぜ!坊や〉だったのが、年をとって〈なぜ!なぜ!坊や〉になった訳ではない。
この病気に打ち克つ有効な方法は実はないのだが、自分がそのような病気に取り憑かれていることを自覚することが、唯一の打ち克つ方法かもしれない。


    

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