判官贔屓(5) 我が国の大衆に慈しまれた人間モデル

 

 九郎判官義経が民衆に贔屓されてきた歴史は長いが、時代が変遷する中で義経のイメージ自体も変化して行ったのではなかろうか。
 若い頃、ある文学好きの知人に、「大衆の心を知ろうとするなら、岩下俊作の小説『無法松の一生』を読めばよい。」と奨められたことがある。私は小説は読まなかったが、映画は何度か観たことがある。
 年配の人ならこの物語を知る人も多いと思うが、あらすじを書くと「喧嘩早く荒くれ者の人力車夫・富島松五郎(無法松)は息子を助けたことが縁で陸軍大尉吉岡と懇意になるが、大尉が急死し、そのあと密かに想いを寄せる吉岡未亡人と、気弱なその息子敏雄のために献身的に尽くす。敏雄は松五郎を父親のように慕うが、成長した後は松五郎と疎遠になる。松五郎は未亡人に想いを打ち明けようとするが、それが出来ず、未亡人のもとを去って行く。その後松五郎の生活は荒れ、酒に溺れ、雪の日に倒れて死ぬ。ナイーブだが著しく不器用で、まさしく、too innocent and too honest person に属し、多くの民衆はその心根と生き方と共感し、あるいは自分と同一化し慈しんだのであろう。 私は小学生の頃歌った「菜の花畠に入り日薄れ」の歌詞をもつ「朧月夜(おぼろづきよ)を聴くと、映画「無法松の一生」を思い出す。敏雄が無法松に聴かせる歌である。
 ところが現在の中年、青年の世代の多くは「無法松」については知らないか、知っていても強い印象は持っていないのではないかと思われる。
「無法松の一生」の原作「富島松五郎伝(のちに「無法松の一生」に改題)は1939年に出版され、映画化し大ヒットしたのは1943年 つまり戦中のことであった。
 では、戦後最も大衆に慈しまれた人間モデルは誰だろうか?私は渥美清が主役を演じた「男は辛いよ」シリーズのフーテンの寅さんではないかと思う。このシリーズは1960年代後半から1900年代の終わりまで続き、現在でも人気は衰えていない。
 無法松とフーテンの寅さんは、正直で不器用という点はよく似ている。しかし、これは私の見方だが、自分の運命に抗いたくともそれが出来ず、喧嘩や飲酒などの行為でしか表せない無法松に比べ、フーテンの寅さんからは、自由に生きようとする意志選択が感じられる。二人は似てはいるが違いもあり、そこに大衆が慈しみ、心に描く「愛すべき人間像」の変化を見いだせないだろうか。
 判官贔屓という言葉で表す心情も、時代によって、人によって、違ったもになるということであろうか。
(2018/06/10))

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