若者、バカ者、よそ者

 「よそ者、若者、バカ者」だったか、順番は忘れたが、某政治家が地方創生事業を推し進めるために必要な人材のタイプとしてこのような例を挙げたが、それで有名になり、様々な方面にまで広がっているようだ。
 しかし、地方創生事業に限らず、芸術文化の領域であれ、科学技術の領域であれ、新しいものを生み出す時、「そのような人材が必要だと」という観点に立つと、それなりに的を射た指摘かもしれない。
 その中でも若者、よそ者については、それほど大きな解釈の隔たりはないと思われるが、「バカ者」については色々解釈があろう。
 ある書き込みで、政治家のアドバイスに沿って、「よそ者、若者、バカ者」でチームを組み、事に合ったが失敗した。というようなものがあった。こういうアドバイスは、そのままそれを模倣してしまってはそれを生かせる筈がなく、自分で(自分たちで)考え再構築し、事に当たらなければ成果はもたらさないであろう。
 ところで、「バカ者」とは失敗しない人間のことだろうか。おそらく、失敗しない人間は「バカ者」とは云われまい。「バカ者」とは失敗しない人間のことではなく、何度失敗しても、その失敗を経験の糧として前に進むことを止めず、挑戦し続ける人間のことではなかろうか。
  判りやすい人物像としては、ヒットした民放のテレビドラマ「下町ロケット」で、阿部寛が演じた、佃製作所の社長・佃航平のような人物がイメージとして浮かぶ。

  
         (2018/02/02) 
   
                                                                 




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