宇宙遊泳の記憶

  22歳の頃だったと思うが、三才下の弟と7月の終わりに、越後三山の越後駒ヶ岳から、越後三山の最高峰中ノ岳を経て、そこから兎岳方面に向かい、灰ノ又山を経て、荒沢岳に至り、人口湖のある銀山平に向かうというルートだった。ここは秘境ともいえる山域で、登山道はなかったのだが、当時は昭和37に国体があり、そのために開かれた登山道があった。残念ながら今は廃道となっている。
豪雪地帯にあるこの山域の山は夏でも残雪が残り、高山植物が咲き乱れる美しいコースなのだが、最高峰の中ノ岳でさえ2085mしかなく、1700~200mの山が続き、盛夏の縦走は暑い。第一日目は、越後駒ヶ岳の肩にある、肩の小屋に一泊し、翌日は、中ノ岳、兎岳を越えて、灰ノ又山付近に一泊することにした。近くに水場もあり、また稜線も平坦で、寝るのに都合が良かったからである。
しかし、当時は学生の身で貧しかったので、寝具は寝袋とツェルトだけだった。今の常識で云うツェルトとは簡易テントをさすが、当時我々が持っていたツェルトというものは、ポールもなく、ただ寝袋の上に掛け、寒さや夜露を凌ぐビニール製の掛け布団のようなものに過ぎなかった。

 明日の山旅に備え、薄暮の時間に早々と仰向けに横たわったが、暗くなるにつれ、見える星の数も増え、天の川もくっきり浮かんで来た。しかも空には星だけでなく、あたかも悪魔の住処のような不気味な形状の雲も漂っていた。天を向け仰向けで夜空を見上げている私には、星が動いているのではなく、星は止まっていて、私の身体だけが自分の意志ではどうにも出来ない力によって、宇宙空間を漂わされているような不思議な感覚に取り憑かれた。科学的には、星は殆ど動いておらず、地球の自転によって星が動いているように見えるのだから、その自転する地球に乗っている私が動いていることになるのだが、寄る普通に家の軒の上の夜空の星を眺めている時には、自分が宇宙空間を遊泳しているような感覚に襲われることはまずない。
しかし、仰向けに横になった場所は、平らな頂稜付近なので夜空以外は何も見えず、広い宇宙空間をただ一人で漂っている感じで、孤独な恐怖感に襲われるとともに、夢の世界にいるような不思議な感覚を味わった。子どもの頃、「空飛ぶ家」とかいう童話を読んだ影響からか、家ごと空を飛んでジャングルに着陸するような夢を見たが、それは孤独な恐怖感をともなうような夢ではなかった。
青年期から壮年期にかけて、意志による制御がまったく利かず、空間を漂わされている悪夢は、あるいはこの時の記憶が心の深層部に残っていたためかもしれないが、それは判らない。

 青空野宿は2回経験したが、雨に降られたりすると本当に困る。それで、弟が祖母と母に、このような装備で山に泊まるのは危険なので、天幕を買って欲しいとせがみ、祖母と母も山で遭難でもされたら困るということで、天幕を買うことを許可してくれた。従って、それ以降はそのような経験をすることはなくなった
                             2018/01/17


 昔

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