エッセイ 「善・正義への強い欲望は何をもたらすか!」  作曲:中島 洋一

 はじめに

 2022年2月24日にロシアが「特別軍事作戦」という名目でウクライナに侵攻をはじめてから、4ヶ月が経します。我が国でも徐々に収まりつつある新型コロナ問題に代わって、ウクライナ紛争がニュースの中心を占めるようになりました。その影で、ミャンマー問題や、タリバン問題に対する関心が薄れていることを懸念していますが、私は今回の問題から、ヒトラーのナチス、我が国の太平洋戦争、オウム真理教事件、連合赤軍事件など、戦争だけでなく、通常異なったカテゴリーに分類される事件まで色々連想してしまいました。
 私は、18歳〜25歳の青年期に、多くの文学作品に接しましたが、私が最も親近感を抱いたのは ロシア文学でした。トルストイ、チェーホフの文学(戯曲を含む)にも多く触れましたが、特に私の心に衝撃を与えたのは、ドストエフスキーでした。そこで、ウクライナ問題のみならず、人間社会に大きな傷痕を残した事件を、私が大きな影響を受けた文学の視点から捉え直してみようと思います。
 その前に、私の内面生活、人間観に革命をもたらした、文学の影響について触れることにします。

 ドストエフスキーの嵐

  私は小学生の頃は童話や自然科学の本を夢中で読む読書好きの少年でした。しかし、実母の死を境に、中学、高校時代はあまり本を読まなくなりましたが、音楽大学に入学した18歳の頃から再び読書生活が復活し主に文学書を読むようになり、最初に夢中に読んだのは「ファウスト」などゲーテの作品で、それから、スタンダール、バルザック、フローベルなどのフランス文学作品にも触れました。仏文学のうち、ロマン・ロランの作品に対しては強い親近感を感じましたが、それ以外の仏文学についてはそれほどでもなかったように思います。
 しかし、前述したように、大学3年頃から読み始めたロシア文学には強い親近感をおぼえ、さらにドストエフスキーからは自己変革をもたらすほど大きな影響を受けました。
 その頃のことは、「私の心の中の文学」という一文で触れていますが、その文は以下のURLから読むことが出来ますので、紹介しておきます。

http://www.yumeoto-yn.com/Study_room/Literature_essay/Literature_in_the_heart.html

 彼の大作については、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」、「白痴」、「悪霊」の順で読んだと記憶しておりますが、「カラマーゾフの兄弟」の大審問官の編で、大審問官はイエスに問います。「あなたは人々に自由を与えた。しかし、多くの人々は自由がもたらす不安と恐怖に耐えきれず、自由を放棄して幸福になろうとする。この世は多数の自由を放棄した幸福な人間と、自由を生きる苦悩する少数の人間からなる」
 大審問官編は、この作品の核心部と思いますが、皆様は先入観なしにそれぞれの読み方で接してください。
 その頃、私はドストエフスキーの小説を熱病にとりつかれるように読み続け、善とは、悪とは、存在とは、と、あらゆることを考え、すべてを疑い、私の心には懐疑と虚無の嵐が吹き荒れました。私は不安と恐怖に苛なまれましたが、それが、自由を生きる苦悩なのでしょうか?
 やがて、私の心は懐疑の無間地獄からようやく抜け出しますが、以下は、その頃書いた物語です。

 反宇宙(寓話

A:「今朝、勇気を持って人を川に突き落としてきた。」
B:「それはよかったね。でも死んじゃいないかも知れないよ。ちゃんと確認しなくちゃ。」
A:「そこまで勇気がなかったし、誠実になれなかった。」
B:「まだまだ修業不足ということか。」
A:「でも!今朝人を突き落とした後、ふと考えたのさ。この宇宙には我々とまったく正反対の倫理観を持つ世界が存在し、そこでは人を殺すのは悪で、人を愛するのが善だという基準を持っているとか。」
B:「そんな馬鹿な。それは気違いじみた考えだよ。第一みんながそんな考えを持ったら、誰も人を殺さなくなり、人類はぬくぬくと生き延び、絶滅することが出来なくなってしまうではないか。みんながそのような倫理観をもてば、人類が絶滅するのが難しくなるということは科学的にも証明出来ると思うよ。」
A:「確かに科学的に考えればそうだが、だからといって絶滅に向かうように努力するのが必ずしも、正しいとは言えないのではないか」
B:「君の考えは、まったく非常識だ!第一それでは人間の自然な気持ちにも反するよ。僕は三日前、誰かが川に飛び込もうとしていたのを誘惑に駆られ助けてしまった。その行為の後のなんともいえぬ後味の悪さ。僕は罪の意識を感じてしまった。」
A:「人は習慣や既成の価値観に安住しやすいものだ。あらゆるものを根本から疑って、根底に存在する価値とはいかなるものか、問い直さなくては」
  (B:はA:を殴る)
B:「ほら!僕は君を殴って少しは気持ちがすっきりした。殴ることは殺人まで高尚ではなくとも、その片鱗くらいの尊さはあるからな」
テレビ放送:【今月全世界で発生した殺人事件は1000万件、自殺も500万人にのぼりました。今日現在の世界の全人口は一億を割ったもようです。これは50年前の2%に過ぎません。喜ばしいことです。】
B:「万歳!人類は栄光の絶滅に向かって、また一歩前進した!」

 この世の存在に意味があるか、ないか、人類の存在は価値があるか、ないか、それは科学では証明できるものではない。選択すること(信じること)で価値が創成され、すべてがはじまる。ということでしょうか。

 私が共感したドストエフスキー愛読者の言葉

 大江健三郎のエッセイ集「厳粛な綱渡り」  
57年前(1965年3月30日)に購入。随分昔購時を経ているので、表紙カバーは汚れている。

  ドストエフスキーは世界中の人々に読まれ影響を与えていますから、ドストエフスキーについて書いた本は無尽蔵といえるほどあります。
 しかし、この文はドストエフスキーについて文学論を展開する目的で書いた文章ではないので、特に私が強く共感した人物のドストエフスキー評だけに触れます。
その一人は大江健三郎氏です。
 私はドストエフスキーの嵐を抜け出した頃の愛読書の一冊に大江健三郎著の「厳粛な綱渡り」というエッセイ集がありました。500Pを超える分厚い本です。本の裏扉に1965年3月30日と購入日が書き込まれていますので、私が23歳の時ですが、彼は私より6歳年長なので、収納されたエッセイは彼が20代の時書いたものです。彼は、そのエッセイ集の中でドストエフスキーについて次のように記しています。
「ぼくは14歳で、はじめてドストエフスキーを読みはじめたところだった。それから28歳の現在まで、ぼくはほとんど毎年のように、この茫然としてドストエフスキーだけを読んでいる一時期をすごすことになった。それは二ヶ月もつづくことがあるし、一週間で終わることもある。ともかく、ぼくにとっては聖週間であった。

 私はこの文を読んで、彼もドストエフスキーの嵐を通過し、そして彼自身が進むべき道を探し当てたと確信しました。ですからドストエフスキーは「聖書」のようなものだったのではないでしょうか。
 もう一人私が溺愛する作曲家の一人、グスタフ・マーラーは「俺は、ハーモニー(和声法)なんぞは弟子からから教えてもらったのだ。そんな暇があったらドストエフスキーを読め!」と語ったそうですが、前半の言葉は眉唾物としても、「ドストエフスキーを読め!」は正真正銘の本音と思います。わたしがドストエフスキーを語ると「音楽が専門のお前がなぜそんな話をするのだ」と言われそうなので、マーラーの言葉は「ほら、マーラーもそう言っているよ」と、引き合いに出せる心強い言葉です。

 小説「悪霊」と連合赤軍事件


   私が挙げたドストエフスキーの大作4作のうち「悪霊(あくりょう)」を読んだのは、大江健三郎のエッセイを読み始めた頃だったと思います。なお、私が挙げた4大作を創作年代順に並べると、あの大審問官編が含まれる「カラマーゾフの兄弟」が最後です。
「悪霊」は、並外れた知力を持つ徹底したニヒリストのスタヴローギンを中心に、彼の影響を受けた、というより彼の分身といえるような存在のピョートル、キリーロフ、シャートフが絡まり物語を展開して行きます。登場人物がその内面を露わにする会話のやりとりは、心に重く響く迫力がありますが、それぞれの登場人物は作者が抱くそれぞれの観念を代表しているようで、人間の生き方に対する鋭い示唆をもたらすものの、この小説に書かれたようなことが現実に起こるとは想像できませんでした。
 ところが1971〜72年に起こった連合赤軍事件は、私を震撼させ、小説「悪霊」を強く想起させました。この事件の最終局面では、1972年2月に連合赤軍の残党が人質をたてに浅間山荘に立てこもり、2月28日には、犯人たちと機動隊員の銃撃戦がテレビ中継され、多くの人々の目をテレビの画面に釘付けにしました。そして死者3名と、多くの負傷者を出したすえ、夕刻、機動隊員が館内に突入し、犯人たちを逮捕し人質を救出して決着しましが、この事件は「浅間山荘事件」として今でも語り継がれています。 
そして連合赤軍の残党たちが逮捕された後、「総括」という名目で、10人を超える仲間たちがリンチ殺人の犠牲になっていたことが明らかになります。それは「悪霊」の登場人物で世直し革命を目指すピョートルが革命の名目のもと、多くの人々を殺害し、姿をくらます物語とあまりにも類似していました。
私は、ドストエフスキーの嵐を経て、善、悪とは何か、人間をつき動かす行動原理は何か? を考えるようになり、対象について自分なりの分析を試みるようになりました。
ここまで随分長く書きましたが、これからいよいよ本題に入ります。

 
人はなぜ生きるのか

「悪霊」上巻の函 1965年4月23日購入

  私はこんな難しい問題に答えうるだけの哲学的修養を備えておりません。
それで、私の能力が及びそうな範囲で、人間の行動原理について述べてみたいと思います。
人類も生物の一種であることは間違いありません。従って人も本能的に生の充足感を求めながら生き続けます。しかし高等生物である人はそれだけでなく、自分がこの世に存在することの意義を探し求め続けます。
 生きていることの充足感とは、例えばホッペタが落ちそうなほど美味しいと感じられるものを食べたとき、自分が贔屓にしているサッカーチームが勝ったとき、商売で予期した以上の収益を上げたとき、など色々あるでしょう。しかし、人は一人で生きられる動物ではありません。家族、友人、郷里の人々などと喜びを共有することで充足感はより大きくなります。例えば音楽コンクールに入賞し、家族や友人たちと喜びを分かちあったときとか、甲子園で強豪校を破り、郷里の人たちから大喝采を浴び、郷里の人たちを勇気づけることが出来たと思えたときなどは、喜びも大きくなりより高い充足感を味合うでしょう。
 人が自分の実績、社会的地位などに拘ったりすることが多いのも、仲間や社会の評価を意識するからでしょう。昔、はじめて1万円札が発行された頃、私の郷里のある有力者が「これが1万円札というものだ」と周りの人たちに得意そうに見せびらかしたという話を聞きました。私の父などは「品性を欠く行為」と眉をひそめていましたが、本人は「どうだ、俺様は凄いだろう」と優越感に浸り満足していたのかもしれません。人が一人では生きられない社会的動物だとすれば、周囲の人間に比べて己の優越性を感ずることは、満足感と自信を得る有力な要素になるからです。
 しかし、人には己の業績、作品(芸術の場合)を他者から賞賛されても、嬉しさを感じない場合もあります。それは、己の業績や作品が、自身が目指しているものをまだ満たしていないと思うからではないでしょうか。
 人は生の瞬間瞬間に得ることがある充足感だけでは飽き足らず、自分がこの世に存在することの意義を探そうとします。
 例えば、大きな自然災害で被害を受けた人々の苦しみを知り、胸を痛めた音楽家が、被害者たちを励まそうと、幾多の困難を乗り越え現地でコンサートを開催したとします。コンサートを聴いた被害者たちは感動し、「あなたの音楽を聴き感動し勇気づけられ、これからの人生に希望が持てるようになりました。」と音楽家に感謝を伝えます。音楽家は自身の存在意義を確認し、これが自分の歩むべき道だと確信します。本能だけで生きるのではなく、自身の存在意義、歩むべき道を探し求めるのが人の人たる所以(ゆえん)ではないでしょうか 。

 善・正義への強い欲望は、しばしば巨悪を育む

  人は、金銭欲、愛欲、など様々な欲望を抱き生きています。しかし、人が最も強く生き甲斐を感ずるのは、自分の存在、行動が、世の中の人々のためになっていると考えられる時ではないでしょうか。
 世の中のために役立ちたいという思いから生まれる行動は、多くの場合、世の中をより良く変えてゆくための力となって行くことは、間違いないでしょう。
 しかし、今の世の中は間違っている。変革しなければならない。という思いが、大きな過ちを引き起こすこともすくなくないようです。
 1995年カルト教団が地下鉄にサリン撒きし世の中を震撼させた「オウム真理教事件」がありました。
教祖の麻原彰晃が単なる詐欺師だったら、高学歴の信者をあれだけ多く集めることが出来たでしょうか。麻原は当初「すべての魂の救済」をスローガンに多くの信者を集めました。
 信者たちは、人々の魂を救う光の戦士とされ、優越感と充実感に浸りながら、宗教活動を続けていたようです。またポア(殺人)は、凡夫をより高い魂に生まれ変わらせてやる行為として正当化されていたようです。
 私は高学歴の者を含め多くの信者が麻原の唱える教義を信じていたという話を聞き、「多くの自由を放棄した幸福な人々」という大審問官の話を思い浮かべました。実際、教団の中枢にいた信者が、苦悩しながら浅原の教義から脱却し、新しい自分を捜し求める過程を書いた手記を読むと、一時期は前述したような心の状態にあったことが窺えます。

 次に現ロシアの指導者プーチン氏が忌み嫌っているナチスのヒトラーに少し触れて見ましょう。
ヒトラーは歴史的には、自己の権力欲のために国民を戦争に駆り立て多くのユダヤ人を虐殺した残忍で最悪な独裁者と評価されているかもしれません。しかし、ドイツ国家とドイツ民族の復活、復権のため、全力を注ぐ、とした彼の姿勢は虚偽だったのでしょうか。ヒトラーの演説を聞き、多くの若者たちが感動のあまり涙を流しながら「ハイルヒトラー」と叫んでいる映像をみると、虚偽であれだけ多くの人々を惹きつけることは出来ないと考えてしまいます。
 では、今度はナチスを忌み嫌うプーチン氏に目を向けてみましょう。第二次世界大戦中最も多くヒトラーのナチスと戦い、最も多くの犠牲者を出したのは、当時のソ連の人々ですから、ナチスを忌み嫌うのは当然のことでしょう。
 ロシアとウクライナの間がキナ臭くなり、昨年末頃になるとロシアのウクライナへの武力行動を懸念するニュースが流れはじめましたが、私はロシアが大規模な武力行動に出ることは思い止まるのではないかと考えていました。ところが、2月24日、「特別軍事作戦」という名目でウクライナへの侵攻を開始してしまいました。プーチン氏は侵攻を正当化するための理由付けに「ネオナチの支配からウクライナの民衆を解放するため」という説明をしました。しかし、このような理由付けでは多くの国際世論の支持を得るのは不可能でしょう。プーチン氏のこの発言は過去の史実などの影響を受けたプーチン氏の被害妄想のように思われます。しかし、若い兵士たちの中にはその言葉を信じて、自分たちは民衆から解放軍として歓迎されると思っていたのに、自分たちは侵略軍と見做され、民衆から大反撃を受けるという予想外の結果に遭遇し、驚き戸惑ったという情報も流れて来ました。
 では、プーチン氏は世界情勢を怜悧に分析する能力を持たず、自分の野望だけで突っ走る頑迷な独裁者なのでしょうか。必ずしもそうではなく、彼はソビエト連邦崩壊後の混乱したロシアの経済立て直し、国民生活を安定させたということで、彼を信頼する国民も少なくなく、またかつては毎年国民と直接対話する機会も設け、それなりに国民の声に耳を傾けようという努力もしていたようです。
 それでは、なぜプーチン氏は今回のような暴挙に出たのでしょうか。私は彼が長く権力の座に収まっているうちに、彼の周辺には彼に異論を唱える人物がいなくなり、彼の意見に迎合するイエスマンだけになってしまったのではないかと考えています。
 ここで話を変えますが、私は音楽大学の専攻科(現大学院の前身)に通学していた頃、後に社会党の大幹部になったT氏のお宅に下宿しておりました。その頃はドストエフスキーの嵐から脱出しかかった頃で「共産党宣言や」ソ連のマルクス・レーニン主義体制についても少し勉強しました。T氏は社会主義協会を代表する理論家でしたが、マルクス・レーニン主義を巡って議論となりました。私は「公平な社会の実現」という社会主義の理念には反対ではありませんでしたが、一党独裁について、そのような制度を導入する社会体制は絶対に認めない、と主張し続けました、T氏はとてもフェアで好感がもてる人物でしたが、まさか一音大生が、これほどの議論が出来ると思わなかったのでしょう。議論の終わりに近づいた頃、「俺は甘いか?確かにあまり懐疑的でないことは事実だね」と自分の劣勢を認めました。
 私が一党独裁制を認めない理由は、大審問官の話からも伺えるように、自分の考えをとことん疑いそして異論に耳を傾けることはとても辛いことです。しかも一党独裁制のもとでは周りがすべて同志たちで固められ、異論が出にくいのです。一党独裁制のもとでは多様な意見が出され、相互にチェックしあうという機能が失われ、独裁化しやすいのです。一旦独裁政権が生まれると、自分の支持者の言い分だけを聞き、国民全体の声に耳を傾けなくなります。多くの国民が立ち上がらないと、それを打倒することは出来ません。1989年に処刑された、ルーマニアの大統領チャウシェスクなどが典型的な例でしょう。
 それでは、ウクライナ紛争の行方はどうなるのでしょうか。プーチン氏は当初は短期間の武力介入でウクライナを実質支配できると考えていたようですが、いまはそれが不可能なことは、理解していると思います。しかし、軍事行動の正当性を主張し、また国民には成果を約束した手前、自軍が劣勢になり不利な条件での停戦には応じないでしょう。ウクライナ側としてはロシアの武力侵攻は不当な主権侵害にあたり、ロシア軍が撤退するまで戦い続けるでしょうし、ロシアの武力侵攻は明らかな国際法違反であり、多くの欧米諸国はロシア軍が撤退しない限り、ウクライナへの武器援助は続けるでしょう。しかし、紛争が長引けば、ウクライナ人の犠牲者がさらに増えるのみでなく、ロシアの若い兵士たちの多くが意味のないこの戦争で、命を落としてしまいます。さらに、この戦争により食糧問題なども生じ、特にアフリカなどの貧しい国々の人々に食糧が行き渡らなくなり、多くの餓死者が出るかもしれません。
 なに一つ良いことのないこの戦争をいかに止めさせるか、人類の知恵が試されます。
 ところで、私は次のような見通しも持っています。それはプーチン政権が内部崩壊するか、プーチン氏が引退することで決着を迎えるという可能性です。
 ロシア国内では厳しい言論統制下で表立ってウクライナ侵攻を批判する人はそう多くはないでしょうが、外国在住のロシアの某外交官が、「プーチン(大統領)が仕掛けた侵略戦争は、ウクライナ国民に対する犯罪というだけでなく、おそらくロシア国民に対する最も重大な犯罪だ」と指弾。ロシア国内で広まっている、戦争支持を表す「Z」の字を引き合いに出し、「戦争は我が国の民主主義に対する希望をZの字で塗りつぶしている」とも述べた。(朝日デジタルより引用)
 また、退役軍人からも、軍事作戦に対する批判がでていますし、若い兵士を戦場に送る「ロシア兵士の母の会」からも、「息子消息がわからない、」などと、不安と不満の声が出されています。またプーチン氏の健康状態についても芳しくない情報が流れています。

 終わりに

 決着までどのような経緯を辿ったとしても、ロシア軍がウクライナから完全撤退すれば、ロシアへの経済制裁は解除すべきでしょう。そして、戦争で無残に荒廃したウクライナ復興支援を国際社会が協力して行うとともに、戦争で疲弊したロシアの復興にも国際社会が協力して取り組むべきでしょう。
音楽家、音楽愛好者を問わずの多くの音楽人は、人を殺すことは望まず、すべての命に敬意を払い愛(いつく)しむ気持ちを抱いていると思います。ですから、ウクライナ人ロシア人が協力して合同コンサートなどを行えば、両国の人々に勇気と希望を与え、復興に向けての弾みとなるでしょう。
 この地方では、兄弟はウクライナ人だが夫はロシア人というような関係も珍しくないようですし、合同コンサートは出来そうに思います。
 紛争中は、コンサートのプログラムからラフマニノフの作品を外せざるをえないような事態を生じさせましたが、我が国でも太平洋戦争中、ストライク、ボールは敵国の言語ということで禁止され、「よし!だめ!」におき換えられました。さすがにすでに国民スポーツとして浸透していた野球自体を禁止する事態には至りませんでしたが、それらは、戦争の副作用で、終戦後はすぐに解消するでしょう。
 ところで終戦後のロシアはどうなるのでしょうか。私は国民一人一人がよく考え自由に発言し、多少の混乱期を経ても、民主的な政治体制を築いて欲しいと願っています。それが実現した時、現在の東西陣営といった対立構造が崩れ、人間交流における新しい世界地図が生まれるかもしれません。第二次世界大戦中、ヒトラーのナチスを生み、疎まれ恐れられたドイツとドイツ国民ですが、今やドイツは経済的にも安定し、ユーロへの救出金額も最も高く、地球温暖化対策でも世界をリードしています。ヨーロッパの人々にヨーロッパで最も尊敬出来る国、国民は?と訊くと、ドイツ、ドイツ国民と答える人が一番多いそうです。私はロシアの変化に期待しています。
 この文で、善・正義への強い欲望をもつ人間が独裁化して、人々を恐ろしい地獄に導いてしまうことが珍しくない。悪と善の対極にあるのではなく、すぐ隣にある、ということを書いて警鐘を鳴らしましたが、危険な方向に走ってしまう経緯を解き明かすためには、独裁者が自己の精神を形成して行く過程にまで鋭いメスを入れて行必要があるのでしょう。しかし正義への欲望が強い人間ほど自分の側にこそ正義があり、敵対する相手を、悪と決めつけたがります。人が排他的で独善的な思考に陥るとき、大きな過ちを犯しやすくなるのです。いままで、ドストエフスキー、大江健三郎など著名な文学者の言葉を引用したので、今度は、私が好んでプレイする、無料のRPGから引用してみましょう。「物事を善か悪かの二極論で決めることこそ、人間の奢りなのかもしれませんね。」これはこのゲームの作者が、ゲームでは脇役として登場するある人物に言わせたセリフです。

(なかじま・よういち) 本会 理事・相談役
    『季刊:音楽の世界』2022年夏号掲載 

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