星なしコンサート       夢音見太郎

 

 
 玄関の呼び鈴が鳴る。ドアを開くとAが姿を現した。「夢音先生、お迎えに上がりました。」言われるままに外に出ると、今日はあの奇妙な流線型の車ではなく、ワゴン車のような大きな車が停められていた。ただ、その車、不思議なことにドアはあるものの運転席以外に窓がまったくない。 「どうぞ乗ってください。」と言われ入ると、中は予想以上に広い。「これから二十年後の近未来の世界へ冒険に出かけます。二十年後だとまだ先生を知っている方々も多くご存命なので、怪しまれないように姿形(すがたかたち)を変えていただきます。」と言うと、Aはシャワー室のような狭い部屋に無理矢理に私を押し込んだ。
 ピカッと青白い光が走るとすぐに「もう結構です、出てください。」と言われ部屋を出る。そこには、いつのまにか大きな鏡がおかれていた。自分の姿を映してビックリ。丸顔の顔が面長になったばかりでなく、体つきまで短身横太りの体型から長身でスリムな体型に変わっている。「おい、おいまるで別の人間になっちゃったよ。声まで変わっちゃったようだ。もとに戻ることは出来るんだろうね。」「取材が終わったらもとに戻してあげますよ」。そうか、昔「他人の顔」という小説を読んだことがあるが、あれはマスクが変わるだけだった。今日はまるで別な人間に変身出来たんだ。もともと長身でスリムな姿にあこがれていたのだから、これも悪くない。「先生前に進むとドアがあります。そこから外に出てください。」言われるままに外に出ると、車は跡形もなく姿を消していた。
 しばらく歩くと我々は古びた家の門前に立っていた。「あれ!ここはS君の家じゃないの。ちょっと前に新築したばかりなのに随分とくたびれてしまったものだな」「そうです。二十年後の友人S氏のお家です。夢音先生、怪しまれないように、今日は名前も変えてもらいます。いいですか!先生のお名前は『夢音見太郎』ではなく『夢無醒次郎』、『ゆめなしさめじろう』ですよ。」そう言うとAは玄関のインターホンに向かって「こんにちは!『音速の世界社』のAです。『星なしコンサート』についてお伺いしようとあがりました。夢無先生もお連れしています」と話しかけた。

  
恋の必勝マニュアル

 ドアが開くと小さな本を小脇に抱えた人の良さそうな青年が立っていた。そういえば彼の細君は身籠もっていたはずだ。彼はS君の息子に違いない。私にはすぐピンと来た。
 「父も母も急用で外出中です。こちらが応接室兼父の書斎となっておりますので、帰って来るまでこちらでお待ち下さい。」
 青年に案内されて部屋に入ると、二十年前と同じように、二台のグラウンドピアノと応接セットが部屋の空間の大部分を占領し、窮屈そうに部屋の隅に置かれた大きめの事務机の上にはディスプレイと半円形をしたコンピュータのキーボードが並べられていた。
 私はつい慣れ慣れしい口調で青年に聞いた「なんだ、まだキーボードなんか使ってるの。キーボード付のコンピュータなんてとっくの昔に無くなっていると思ったけど」「二十年ほど前に音声入力方式が出現した時にはキーボードにとって替わると思われていたらしいのですが、一人でコンピュータに向かって話しかけている姿なんてやっぱり不気味ですし、第一キーボードの方が入力が速いでしょ。特にこの型のキーボードは人間工学的配慮がなされていて使いやすい。ですからコンピュータを使い慣れた人はいまでもキーボードを使っていますよ。ただ、音声や、指紋、眼の光などによって本人かどうか照合出来るようになったので、不法アクセスなどのコンピュータ犯罪は昔と比べ、ぐっと減ったようですが。」
 「では、コーヒーを入れて来ますので、ちょっと待っていて下さい」青年は抱えていた小冊子をテーブルの上に置いて出ていった。 ここで私の悪い性癖が首をもたげてきて、ついテーブルに置かれた本を手にしてしまう。 なになに『恋の必勝マニュアル』。あまり自分の容姿に自信を持っていないと思われる女性に対しては、「なんて美しく澄んだ目の輝きだろう。きっと貴女の心の美さが表れているからですよ」と励ましてやる。傷ついた過去を持つ女性に対しては「君はホントにやさしいね」とささやいてあげる。二、三回デートを重ねた段階でチャンスをうかがい、相手のお尻にそっと触れる。ただし、ちょっとした弾みでそうなってしまったように装うこと。相手の好意が深まって来ている場合は、『もしかするとわざと触ったのでは』と気づかれても、恋のさらなる進展にとって好材料をもたらすかもしれない。しかし、相手がまったく好意を持っていないか、嫌悪感さえ抱いているような場合、『わざと触ったこと』に気づかれると、場合によってはセクハラで訴えられ、なんとか示談に持ち込めたとしても、膨大な慰謝料を取られる危険性がある・・・。ここまで声を出して読んだところで、青年がコーヒーを持って入って来る。
  「あっ!それ読んじゃってるんですか?」彼は恥ずかしそうに言った。「でもそれ、五〇〇円で買った一つ星のマニュアルなんです。五つ星のだと必殺香水のプレミアムがついて二百万円もするんですよ。安物のせいか、相手が好意を抱き始めているのか、嫌悪感を抱いているのか、その見分け方のポイントについて何も書いてない。肝心なことをちょっとも書いてくれてないこんなマニュアルを頼りに行動して、膨大な慰謝料を請求でもされたら大変ですよ。やっはり安物を買うと『安物買いの銭失い』になってしまうのかなあ。」青年はボヤいた。そんな話をしているうちに、外出先から戻って来たSが入って来る。

 
 『星なしコンサート』とは

 「あっ!Sさんですね。お邪魔しています。」Aが口を開く。「ところでSさん。『星なしコンサート』をはじめられた動機は?」Sは不機嫌そうに説明し始める。
 「二十数年前からインターネットが普及し、今では猫も杓子もインターネットで情報を集めるようになりました。そのような流れの中で、どこかのサイトがあまたあるコンサートを星印をつけてランクづけするようになりました。それが音楽愛好者に大受けし、多くの音楽サイトがそのマネをするようになったのです。何も音楽に限らず演劇や映画などもそうですけどね。星印は無印から五つ星までありますが、その間には二つ星半とか三つと四分の一星など細かい付け方もあるんですよ。星をつける基準はコンクールの入賞歴とか、有名な批評家が賞賛したとかで、そういう点数が多いほど星印が増えます。最初の頃は〈そんなことどうでもよいさ〉と考えていたのですが、自分で判断するのがめんどくさいせいなのか、あるいはコンサートが多すぎるからなのか、殆どのお客が星印の数でコンサートを選ぶようになってしまい、星印が少ないコンサートにはお客が殆ど集まらなくなってしまったんですよ。そうなるとアーチストも必死で、有力な批評家や有力なサイトの関係者を豪華な食事に招待するとか、色々裏取引が行われているという噂も流れています。これではいけない。このままでは音楽文化が荒廃してしまうと危機感を覚えたものですから、本当に音楽を愛する仲間達に声をかけ、みんなで手分けして数多くある無印コンサートを聴きに行き、よいものだけを集めて『真に音楽を愛する人達のためだけのコンサート』というサブタイトルをつけ、星なしコンサートを何度か開くことになった訳です。」
 「それはとてもよい試みですよ」私はさすがはS君と感心しながら言った。
 「回を追うごとに我々のコンサートの評判が高まり、だんだんお客が集まるようになりました。ところがです。最近、我々のコンサートに出演した人達に音楽情報サイトが星印をつけはじめたのです。その理由は最近権威を増した、かの有名な『星なしコンサート』への出演歴を評価して、ということなんですよ。実にけしからん。それで、その対策についてさっきまで仲間達と語り合っていたのです」。Sは「けしからん、実にけしからん」と連発ながら拳固で激しくテーブルを叩いた。その衝撃でコーヒカップが転がり、コーヒーがテーブル上に溢れた。
 
(この巻完り)

     「読み物・(物語)のメニューに戻る