リサイタル無料解放論  利犀 樽

 

 今に始まったことではないが、最近の東京周辺の音楽会の回数の多さにはまったく呆れるほどである。毎日平均9回もあるのどそうだ。音楽好きを自称する我輩もいささか辟易とするところだ。第一これほど音楽会の数があると、一体どれが聴くに値して、どれがペケなのか予測も難しい。出演者の名前などからおおよその見当をつけ選択して出かけて行くようにしているのだが、ひょっとすると全く無名の新人の演奏が非常に素晴らかったりするかもしれないのである。だから無名を理由に聴き逃したりすると実にもったいないことをしてしまう恐れがある。しかし、忙しい時間を割いて結果が期待はずれだった時には気分直しに『ビール一くらい奢れ!』とでも言いたくなるのである。ましては招待券ではなく、金を払って来た時には尚さらのことである。  さて、そこで我輩は思い切った提案をする。ようするに聴きたくもない音楽会の切符を義理で買わされるところに問題があるのだ。いっそのことリサイタルを無料にしたらどうだ。もし、只なら期待外れであってもそれほど腹も立たないだろうし、金はないが本当の音楽好きといった聴衆を集めることが出来るかもしれないのだ。それで我輩は我輩の提案が実現した場合を想定して架空の物語を提供する。これを読んだ紳士淑女のみなさんがで捧腹絶倒し、その後で「ふーむ、まてよ」と考え込んでくれたら、我輩の目的は一応果たされたものと思っている。

○            ○

 彼女は音子。某音大のピアノ科を卒業して5年目のピアノ教師兼自称ピアニストである。大学を卒業した後、箔をつけるために留学しようとも思っていたが、資金も少なく語学も得意ではないので行きそびれてしまった。「今時留学なんて箔になんかなるものかいな、ようするに実力!実力よ!」と自らを慰めて毎日ピアノのキーをたたいている。彼女は近い内に初めてのリサイタルを開こうかと考えている。  彼女も時々は演奏会に足を運ぶ。それも大体身近な友人か自分の先生のリサイタルである。芸術的感興など最初からまったく期待せず、『近々リサイタルを開く私に比べて腕前はどうかな』と冷やかし半分に聴き、『ほら、あそこのパッセージをお間違え遊ばしましたわよ』と優越感に耽けって、『やれ来てみて少しは良かったわい,うふふふ.・・・』と思って帰る。
 さて、いよいよリサイタルの当日。指にタコが出来るほど招待状を書いて満員の客入りを期待していたのに、客席を見ると半分は空席。『やはり宣伝が足りなかったか』とちょっとがっかりするが、気を取り直して弾き始める。しかし初めての経験なのですっかりのぼせ上がってしまい、何が何だか訳が分からないうちに終ってしまった。  終ってから友人達や、周囲の人々に批評してもらったが、みんな「お上手ねえ」とお追従のような誉め言葉をくれるばかり、本当の聴衆の反応はちょっとも掴めない。
 でもそんなことを気にしている余裕はない。はっと我に返ると『ワー予想以上のひどい出費、使った分を稼がなくては』ということになり、楽しみにしていたヨーロッパ旅行を諦め、近所かいわいに自分の名前入りのタオルを配って『ほんとは菓子折のほうが効果があるんだけどお金がないわよーん』と内心で叫びつつ、「ピアノ教室の○○です。どうぞ!御贔屓に!御贔屓に」と平身低頭して廻り、足が棒になって二、三日紐で足を吊して寝込んだりする。
 しかし、次のリサイタル開催の資金を貯めるのは大変である。『なぜあんな教養のないママゴンどもに頭を下げて廻らなくてはならないのか』と大いに自尊心を傷つけられ、裕福なK子のことが思い浮かぶ。『あのブタ娘、ブタの指とブタの感性で、ブタパンみたいなショパンを弾きやがるくせに、一流ホールでもう5回もリサイタルを開いているのだ。親父が大会社の社長なものだから100万や200万の金など小使いにもならぬと思うほど金があり余っているので、5回や10回の無料リサイタルの経費など、へとも思わないんだわ。それに比べてこちとらは1回リサイタルを開く度に10キロほど痩せるのよ。なんたる違い。なんたる不公平、この源凶はすべて悪しき日本の政治にある』と急に政治意識に芽生え、「金の恨みは恐ろしいぞ!見ておれ」と歯ぎしりし、いっそ政治家の女房になって、夫をそそのかしクーデターでも起こさせ、金持ちの財産をすべて貧乏人に配分し、貧乏人を金持ちに、金持ちを貧乏人にする財産逆配分令でも発令してやれと考えたりする。
 でも、身近に政治家のボーイフレンドがいる訳でもないし、金は溜らないし、ですっかり頭にきて『えーい自棄酒だい』とばかりに生まれて初めてウイスキーをストレートで飲み、ボドル一本空け、悪酔いして道端のあちこちにゲロを吐いて「ぐ、ぐるじい(苦しい)」とのたうちまわる。ここで多くの者は『あーこんな思いまでしてリサイタルを開くのはもう止めよう。可愛い子供達相手にレッスンをし、溜った金でヨーロッパ旅行でもしていた方がましだわ!』と思うのである。
 ところが音子の元にある日一通の手紙が届く。封を切ってみると『先生の演奏を聴いてとても感激して涙がとまりませんでした。無料リサイタルなんて収入がないのに出費がかさんで大変でしょう。このお金、お小遣いから工面しました。どうぞ受け取って下さい。そして、また素晴らしい演奏を聴かせて下さいね。〜先生のお家の近くに住む音楽好きの女子高生より〜』というたどたどしい文面の手紙と一緒にしわくちゃになった千円札が一枚同封されていた。彼女は感激のあまりわっと泣き伏し『私の演奏を聴いて泣いた人がいた。』とその日は興奮のあまり夜も寝つかれず、一昼夜ぶつぶつと呟き続けた。そうしているうちに『よしまたやるぞ』ファイトが漲ってきた。
 さて、そんなことをしている内にいつのまにか彼女のリサイタルも数回を数えるようになった。始めは意地で続けたリサイタルであったが、あの女子高生のような手紙も次第に増え、カンパをしてくれる人さえ現れた。そしてプロではない、本当の音楽好きの友人達も増えてきた。友人達は彼女の音楽について忠告してくれたり、時には要求もした。勿論そのすべてが納得の出来るものという訳ではなかったが、勉強になることが多々あった。そしてやがて彼女はヴィルトゥオーソに成長して行くかもしれないのである。勿論彼女に本当の才能があればの話だが。現在はヴィルトゥオーソ不在の時代と云われているが、ヴィルトゥオーソは聴衆の要求と期待が生み出すものであり、お義理で聴きに来ている聴衆を相手にしていてヴィルトゥオーソなぞ生まれる筈がないのである。

○           ○

 さて尻切りトンボになってしまったが、これで我輩の物語は終りである。音子の、そしてブタパン娘のその後については紳士淑女のみなさん各自の想像力で続編を完成させていただきたいと思う。

では!これにて失礼!『おそまつ様でした!』        (1987/10/23)

      「読み物・(物語)のメニューに戻る