オペラ公演企画の表と裏  作曲:中島洋  

                                                                         
 2005年12月にCMDJの第1回オペラコンサートを開催して以来、私はずっと企画・構成を担当しているが、人付き合いが不得手で、諸事において要領の悪い私にとって、本音をいうと、仕事自体は面白いが、色々気苦労が絶えず、よくいままでつとまって来たものだと自分でも不思議に思うほどである。では、《企画・構成》の名目のもと、私がどんな仕事をしてきたかというと、@出演者の募集・人選、A演目の選択、B台本が必要な場合は台本の作成、C舞台音響、そんなところが私の仕事であった。
いまでこそ、私は毎年オペラの企画に関わるようになったが、私の人生を通して、オペラとの関わりはそれほど深かった訳ではない。

オペラとの最初の直接的関わり

 30代半ばの頃、自分の心にある世界を描くにはオペラが一番適していると考え、自ら台本を書いて、メルヘン・オペラを創作した。なかなか演奏してくれる団体が見つかりそうもない時、同じ音大で学生の創作オペラサークルの顧問をしており、熱心に学生達を指導していた先輩のM氏が、「では、うちのサークルでやろう。」と声を掛けてくれた。本心は一学生サークルには荷が重いという気がしていたのだが、もう一人の顧問であった声楽の同僚も勧めるので、学生サークルに自作の演奏を託してみることにした。

 
 1977 年公演の自作のメルヘン・オペラ『蝶の塔』の舞台より:ヒロインが蝶に変身


 一応、公演日の半年ほど前から練習に入ったのだが、のんびり、だらりとした状態で、これでちゃんとした公演が出来るのか心配になったが、公演が一ヶ月余りに迫った時、学生達だけで自主的に会合を持ち、ここまで来たのだから公演に向けて全力投球をしようと誓い合ったのだ。それからは、学生達の目の色が変わり、積極的に練習するようになった。オーケストラのパートは私が担当していた弦管の学生諸君全員で協力して受け持ってくれた。猛練習の甲斐あって、公演は予想以上の成功を収め、新聞などにも批評が掲載さた。
 もともと、社交性に乏しく、人付き合いが苦手な私だが、喧嘩したりしながらも、一つの目標に向かって協力し合うことの素晴らしさを、この時はじめて強く感じた。
 しかしその後、私の好奇心と勤務校の要請もあり、電子音楽の研究が私の主たるテーマとなり、あまり人間と接触せず、一人で電子機器やコンピュータに向かう日々が多くなった。しかし電子音楽の研究を進める中で、舞踊家の人達との接触が生じ、異なるジャンルの芸術家達と協力して創造することの楽しさを体験出来た。

オペラコンサート復活のキッカケ

 本会では、1990年台の初めに、簡易な演技をともなったオペラコンサートが開催されたことはあったが、それ以後は、アリアコンサートは時折開催されたことがあっても、オペラコンサートは長い間途絶えていた。
 オペラコンサートが復活する前の、2003年、将来性豊かな若い演奏家たちの発掘と育成を目的としたフレッシュコンサートの企画がスタートした。フレッシュコンサートの出演者の中には、毎年器楽の出演者に混じって、素質のある若い声楽家たちが少なからず参加していた。そこで、こういう人たちがある程度溜まった段階で、オペラコンサートをスタートさせようと考えた。
 クラシック音楽の衰退が云々されている、いまこそ、クラシック音楽の一方の柱であり、総合芸術であるオペラの楽しさ、素晴らしさを,手頃な入場料で多くの人々に提供し、クラシック音楽の愛好者、オペラ愛好者の裾野を広げて行く努力が必要ではなかろうか。また、本会に所属する経験豊かで優れた芸をもつ声楽家たちが健在なうちに、若い人たちをコンサートに参加させ、ベテランの経験と知惠を若い人たちに引き継いでもらうことは、若い人達の芸の成長にもつながり、有意義なことではなかろうか。それを行うには、この会に若い人が関わりはじめ、そして、いまだにベテランたちが健在な今の時期をおいて他にない。そういう考えから2005年12月に第1回のオペラコンサートを開催した。第1回から第2回開催までには一年八ヶ月のブランクがあったが、2007年9月の第2回からは、毎年9月または10月に休まず開催している。

日本語の台本について
 
 自分で新作を創るなら、台本はいかようにもなるが、既成のオペラ作品上演に際して、新しい台本を付加出来るのは、もともとセリフが入っている喜歌劇の類か、『カルメン』や、『ヘンゼルとグレーテル』のように、もともと、オペラコミック、または、ジングシュピールとして書かれた作品に限定される。
 私が、歌唱部については原語、台詞については日本語という基本姿勢を持つにいたったのは、日本語訳で歌われたワーグナーの『マイスタージンガー』、それとウィーンのフォルクスオーパーで『こうもり』を観劇した時のことが影響している。日本語で歌われた『マイスタージンガー』はイントネーションが著しく不自然に感じられ、これなら原語で聴いた方が良いと思ったし、フォルクスオーパーの『こうもり』では、ウィーン人のお客達が台詞でゲラゲラと笑いこけているのに、ドイツ語を解さない私には、何が可笑しいのかサッパリ判らず、自分だけ仲間はずれにされたような疎外感を覚えた。その時以来、日本で喜歌劇を聴衆に判りやすく紹介するには、台詞は日本語にした方がいいと強く思った。
今回は、キャストの人選が大幅に遅れたため、台本の制作も遅れてしまった。キャストが決まる前に、台本を先に書いておけばよい、と思われる方もおられると思うが、それは意外にそうでなく、キャストの個性、得意不得意を頭に入れた上でないと、なかなか役柄ピッタリの台本がかけない。また、練習条件なども考慮にいれて、台詞の分量を調整する必要がある。こういう仕事を始めたばかりの頃は、そこまで神経が行き届かなかったが、やはり出演者に負荷をかけ過ぎない配慮も必要と最近は思うようになった。

大道具、小道具について

 低料金での公演をめざす、貧乏団体の我々にとって、一番頭を悩ますことである。
また、そのような分野のことについて、私はまったく才に恵まれていない。島信子さんに演出をお願いした、2008年、2010年の公演では、島さんが友人の力を借り、気の利いた大道具を極めて安い費用で用意してくれ、なかなか見栄えのする舞台となった。昨年の『カルメン』では、手の込んだ大道具は殆ど使わず、限られたホールの照明機能を上手に使い、ある効果を出していた。
 若い人たちが成長して行き、歌だけでなく、衣裳や、大道具、小道具についても良いアイデアを出してくれることを、期待している。みんなで知惠を出し合うと、意外な人が、予想外に良いアイデアを出してくれたりする。それが、みんなで協力してもの事を行うことの面白さでもある。

キャストの人選について

 
 2008 年公演の『ヘンゼルとグレーテル』の舞台:お菓子の家
ヘンゼルが閉じ込められた檻などの手作りの大道具、小道具が写っている。

今回は、特にこの問題で苦労した。毎年、4月のフレッシュコンサートが終わった後、オペラコンサートの企画を立て、キャストの人選に入るというスケジュールで事を運んできた。そのペースでは、これはという人は、他のコンサートでスケジュールが埋まってしまっていることが多く、難しいということが判っていながら、毎年なんとかなったので、今年も、同じペースで事を運んでしまった。
本会会員にはソプラノは比較的多く存在するのだが、若手のテノール、バリトンの人材が不足しており、会外の歌い手に参加を呼び掛ける必要がある。特にテノールの人選で、苦労することが多い。今年は、どうしても見つからず、行き詰まってしまい、昨年本会で公演した『カルメン』のドン・ホセ役で美声を聴かせてくれた高柳圭君に相談を持ちかけた。彼の方でもなかなか見付からないということなので、もし可能なら貴男自身が出演してくれないかと嘆願すると、可能かどうかスケジュールを調整してみるということになり、スケジュール的に可能ということで、出演を承諾してくれた。もし、彼の出演承諾が得られなければ、今回の公演は間際になって企画を大幅変更する必要性に迫られたことであろう。
 ところで、男性歌手が少ないという実情を踏まえ、今回は、それでも面白い舞台が作れるよう一種の「禁じ手」ともいえる方法を使ってみることにした。ジュノン役を演ずるソプラノの秋山来実さんは、なかなかの芸達者でもあるので、第2幕第1場では、男装して、ジョン・ ステックスの役も併せてやってもらうことにしたのである。ジョン・ ステックスのアリアはソプラノに歌わせても、なかなか面白そうに思えたからである。
『地獄のオルフェ』の声種の指示はあいまいで、オルフェは(TまたはS)、世論は(M-sop.またはBr.)となっている。ヴェルディの作品などは、この役は絶対にバリトン、この役はソプラノでも、単なるリリコではなく、強く張りのある声も出せる、リリコ・スピント、というように、役柄に適した声種が限定されるのだが、『地獄のオルフェ』の場合はそうでない。しかし、オルフェをソプラノ歌手が歌ったのを聴いたことがないし、ソプラノ二人では、アンサンブルにおいて、声質の対比を実現できない。さすがにオルフェ役にソプラノを使うという気にはなれなかったが、ジョン・スティックスの場合は、いないより、ソプラノの歌手の芸にかけてみたほうが、ずっと面白い結果が得られると考えた次第である。その決断が正しかったかどうかは、舞台を観た上で、評価いただきたいと思う 。

音響について

 音響については、特に手の込んだことをする訳ではない。昨年の『カルメン』では幕間にオーケストラで演奏させる間奏曲を、パソコンによる電子オーケストラで代用したが、思いのほか評判は悪くなかった。時間もないので、特に高度な電子音楽の技術を駆使するわけではないが、歌を邪魔しない程度に、そっと挿入しようと考えている。
 その一方、オルフェのヴァイオリンの演奏は、さすがに電子音響で代用しようという気にはなれなかった。私が電子音響の扱いに少々の経験があるだけに、ヴァイオリンの生演奏を電子オーケストラで代用することは困難であることが判断出来るからである。このシーンでは生演奏に優るものはない。

最後に

 公演では、企画の段階でとんでもない不手際を犯してしまった。次回以降は、今回の経験を生かし、企画のスケジュールを大幅に見直す予定である。
 しかし、初めの段階で上手く行かなかったことがあっても、公演に向けては最善を尽くさなくてはならない。「竜頭蛇尾」ではなく、「蛇頭竜尾」を目指して、みんなで頑張って行きたいし、様々な困難を抱えた時こそ、結束の力が生かされるのである。
 私のようなふつつかな人間が企画を担当すると、裏側では滑稽なドタバタ喜劇が展開されることになる。端からみれば、滑稽かもしれないが、当事者は真剣である。
 ほんとに今回は1年とまでは言わなくとも、寿命が半年くらい縮む思いをがした。
しかし、そんなことは、観に来てくれるお客様には関係ないことである。ここまで来たのだから、第一回から欠かさず参加していただいている、バリトンの佐藤光政氏とピアノの亀井奈緒美氏、そして将来有望な若い参加者たちと力を合わせ、お客様に喜んでもらえる舞台を作りたいと強く願っている。

    (なかじま よういち  本誌編集長/オペラコンサート実行委員長) 

 
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